Wizardy という古のRPGゲームがある。6人でパーティーを組み、迷宮(ダンジョン)に潜る。ストーリーは一応あるが、ただひたすら敵と戦い、より深くを目指すそれ自体が目的のゲームだ。進化し複雑化したRPG界において、少数ながらも熱狂的な Wiz マニアは現代でも確かに存在する。(*1)
さて、この迷宮街輪舞曲。(おそらく色々な方面への配慮から)本の何処を見ても Wiz の一言も書かれていない。ただ Wiz マニアなら帯にかかれた「けいいちはいしのなかにいる!(*2)」この一文にピンと来て、思わず手に取るはず。そう、これはまさしく Wiz 漫画の系譜に連なるものである。
ただし舞台は現代日本。この「現代の京都に出現した迷宮」という設定がよい。迷宮、魔法使い、モンスターという言葉に並んで、コンビニ、ポカリ、など馴染み深いものが登場する。主人公も、”自分探しのために”大学を中退して迷宮街へとやってきたという現代的な設定。施設のパソコンで日記をつけて、夜は仲間と繁華街に電車で飲みに出かけたり‥‥。およそ普通のRPGではありえないノリ。だがそれが、絶妙なリアリティを生みしている。
迷宮への探索を始めるまでの手続きの踏み方も、上記 Wiz を踏まえた上で「現実にそれがあったらどうなるか」をうまく翻訳したものとなっている。特に、倒したモンスターの肉片を持ち帰り、運営団体がそれを提携企業、研究施設に売ることで収入を得るという設定には感心した。
細かく設定を詰め地道に物語が進むせいで、話自体のテンポは正直遅い。なんせ一巻が終わった時点で主人公はやっとパーティーを結成したばかりである。いよいよ探索の始まる(はずの)続巻以降が楽しみだ。
(とまあ、上は原作未読のつもりでこの作品単体での評価をしたつもり。原作既読の人間としては多少不満があるのは事実で、以下は一番最初に書いた感想である。あまりに悪く書きすぎたかな、と思って改めて書き直した。)
以前感心しながら読んだ、現代日本が舞台のオンライン Wizardy 小説『和風Wizardry純情派』の漫画化作品。連載されている雑誌を見かけたことがなくこれまで読む機会がなかった。原作者サイトで単行本が出たことを知り、購入。
よい点はある。「現代の日本に出現した迷宮」という設定を生かした数々。登場人物がみな普通の日本名で、迷宮街にコンビニがあったり施設のパソコンで部屋探ししてたり夜は皆で繁華街に電車で飲みに出かけたり‥‥。でもそれは総て原作から受け継いだ特長なんだよな。漫画ならでは、というものが、残念ながらなかった。
ロベルタが好きになれない。正確には、ロベルタ自身は嫌いでも好きでもないが、彼女を過剰にプッシュしようとする編集部なり何なりの動きが気に入らない。本来ならばこの巻の表紙は、エダあるいはシェンホアが妥当なのではないか?(*1)
「銃は好きじゃないし、持ちなれないものは持たない主義だ。
――ただ、この引き金を引いたことは、忘れたりしませんよ。
だからこれは、お返しします。」
cite ( 『ブラック・ラグーン (6)p132』 )
僕がこの作品を好きなのは、この作品には「どんなにカッコよくても、銃を撃つのは悪人である」という思想が根底にあるからだ。老若男女を問わず、銃を撃つ者は自分がろくでもない人間だと知っている。(それを自覚出来ない人間は、死ぬ)。悪人のみの住む町でロックだけが武器を持たない。”生きる者”と”歩く死人”、”夜”と”昼”。彼は、”夕闇に立つ”ことを選んだ後も銃を持ち続けることを選ばない。
その点で、今回”ロベルタ再び編”に登場した妹メイドはにちょっと気になるものがあった。それは彼女に、銃を手に取るだけの理由が感じられなかったからだ。