「メリークリスマス」
祥子さまは祐巳の手をとって囁いた。
――世界中の人々が、幸せにこの日を迎えられますように。
「……メリークリスマス」
手をつないで歩きながら、涙が出そうになったので。
雪が降ればいいのに、と祐巳は天を仰いだ。
cite ( 『マリア様がみてる (いばらの森)p204-205』 )
メリークリスマス。
空気が冷たい。
――雪。
cite ( 『マリア様がみてる (未来の白地図)p176』 )
「ごきげんよう」「ごきげんよう」から始まるマリみて恒例のアバンタイトルにおける今回のモノローグは誰のものであったか?それが判明する p162-3 のシーンが、その直後の例のアレよりもよほど感慨深かった。それは、これまで「祐巳と祥子」の物語であった「マリみて」が、今回初めて「祐巳と瞳子」の物語となったことを表明しているように思えたからだ(*1)。今回のラストで祐巳が流す涙。それは、彼女がはじめて瞳子を思って流した涙だ。
この作品は、『チェリーブロッサム』よりもよほど「マリみて2期」の始まりと呼ぶべき作品ではないか、と思う。
じゃあお前はめでたく姉妹になってお姉さんぶって瞳子を可愛がる祐巳やツンツンデレデレする瞳子を早く見たくないのか?と自問してみる。もちろん見たい。心の底から見たい。だが僕は、それと同じくらい素直になれない瞳子の姿をいとおしく思うのです。
未だ生まれていない、名前の付けられない「なにか」。いったん形となり手に入れてしまうと、確かに”それ”であったはずなのにどこか違うと感じてしまうもの。志村 貴子は、そういったものを書くのが実にうまい。
小柄な背丈のわりに豊かな胸を張って言うので、そうか、と英治はあっさりと場所を空けた。
cite ( 小川 一水『ファイナルシーカー レスキューウイングス』メディアファクトリー(MF文庫J)、p97 )
一水たんには珍しい意味もなく乳描写。口絵はパンチラだし。頑張ってるな。
小川一水なら、ギミック無しでも余裕で成立させることが出来た話だろうに、なぜ「幽霊」というファンタジー要素を話に持ち込んだのかが読んでいて疑問だった。あとがきを読んで分かった気がする。彼には、単純にプロフェッショナル集団が活躍する話として自衛隊という組織を描くことが出来なかったのだろう。
やさしい手はいらない。私は、ベスの抱いている哀れな人形(ジョアナ)じゃないから。
そろそろ、エイミーに戻らないといけない。――だから。
cite ( 「ジョアナ」『マリア様がみてる (イン ライブラリー)』p63 )
今更ながら感想を書く。じつのところ、コバルトに掲載された短編を集めた番外編的な一冊だという話を聞いていたので、この本はスルーしていた。ブクオフで100円で売られていたので購入。うむ。
瞳子視点から『特別でないただの一日』のエピソードを描いた『ジョアナ』がいい。他の4篇と違いマリみて本編と若草物語の双方を読んでいないと成立しない点は弱いが、短いながら暗喩に満ちた良作。といいつつ若草物語なんて読んでから十年はゆうに経過しているのでほとんど憶えていない。明日買いに行こう。
『図書館の本』はどうなんだろう。長く続くシリーズにはありがちだが、後づけで過去の因縁が創られていくのはあまり気持ちのいいものではない。話し自体はいい話なのだけど。