ではこのお話も、多くのお伽話と同じようにあの言葉で終わりとなります。
「そしてみんな、末長く幸せに暮らしました」
cite ( 『いつか夢の中で』遠藤淑子:白泉社花とゆめコミックス )
21冊目にしてシリーズ完結編。見事なまでの大団円であり、シリーズが終わったことに対する感慨はあるがそこに寂しさはない。唯一気になったのはサラとナハトールのその後のことだが、それも2ch 樹川さとみスレのこの書き込みを読んで納得することが出来た。
321 名前:イラストに騙された名無しさん[sage] 投稿日:04/07/05(月) 19:23 ID:AQ/rUGLC
楽園に残った、て時点で時々ふらりとやってくるナハさんを待っているんだとオモ。
大人のお付き合いをしてるんじゃないかなー。
cite ( 樹川さとみ「楽園の魔女達」4 )
もちろん本文にそれを示唆するようなことが書かれているわけではないが、想像することは自由だろう。この巻の最後、血を吐いて苦しんでいる姿を無視して殿下と会話するサラの姿に、逆にナハトールを強く意識しているのでは?とも思ったし脈はあるのではなかろうか。
「ああよかった」「面白かった」だけで、他に言葉を重ねる必要もないだろう。よいお話でした。
とある方が公開されているはてなアンテナを通して毎日楽しくチェックしていた日記が、殊能将之氏が書いているものだと知って驚愕した。日記を読む限りただ毎日料理を造って食べてはゴロゴロしているだけで、確かに職業の推測はつき難い。自炊の大学生かフリーのライターか何かかと思っていた。
今日は七夕。とある本屋に笹が飾ってあって、その前に「願い事をお書きください」と短冊とペンがおいてあった。くくられた短冊の中に
・今の彼氏と別れたい
・お金に不自由のない生活がしたい
と書かれたものがあって、彼氏がよほどロクデナシなのか書いた人間がダメ女なのかしばし悩んだ。
森博嗣のVシリーズ最終巻の感想が読みたくなって、 google で検索してみたがほとんどヒットしなかった。どうもタイトルを記憶違いしていたようだ。ふと思いつき、似たような間違いをしている人がいないか調べてみる。それぞれ四色を並べ替え作者名をプラスして検索した。
「赤緑〜」までは自信があるが、白黒があいまいな人がやはり多かった。
今月4日から放送が始まったTVアニメ『マリア様がみてる〜春』の視聴を予定していたファンの10人に1人以上が、放送時間までに起きることができなかったことが、本紙調査で明らかになった。
cite ( ほほえ味屋 )
現実にあったネタをちょっとひねってステキなウソニュースを捏造されている「ほほえ味屋」から、朝起きられなくて『マリみて〜春』が見られない、という記事。は〜い、私もです。多分明日も見ない。ドリルっぷりを確かめるために新入生登場の回は見ようと考えてますけど。
七夕は、織姫(ヴェガ)と彦星(アルタイル)がちょうど天の河を挟む星の配置になる旧暦の七月七日だからこそいいのであって、新暦で祝っても何の意味も無い、というお話。へぇ〜、知らなかった。
追記:「極東ブログ」のほうでもっと詳しく解説されていた。疑問に思ったことを表面上の知識で済ませず納得するまで調べようとするその姿勢を見習わなければならない。
古川日出男の「サウンドトラック」を読んでいる。発売されてすぐに買っていたのだが数ページ読んで雰囲気に馴染めずにそのまま積ん読状態になっていた。星のめぐり合わせがよかったのか、ふと手にとり読み始めたらとまらない。古川日出男の文章には呪術的な力がある。
「パトラッシュ・・・もう疲れたよ。なんだかとても眠いんだ。」というわけで寝ます。夏仕様にゆかた少女のイラスト描こうと考えているのだがどうにも時間が……。『サウンドトラック』読み終わったけどその感想も後日ということでとりあえず一言だけ。圧倒的でした。
これってライトノベルじゃん!と思った。ハードカバーでイラストの一枚も無い本がライトノベルなわけがないのだが、「まずはキャラ立て命!」といわんばかりのノリはラノベ読みには非常に親しみやすいものがあった。個性あふれるサブキャラが登場するたび彼らの個人史が挿入され、この分厚い本の半分近くがそのために費やされている。そのかいあってかキャラクタ全てが魅力的で、彼らの行動を追ってページを無心でめくりほとんどノンストップで読み終わった。
思いついたことをそのままぶち込んだように構成は破格だし、ジャンプの打ち切り漫画のようにストーリは途中で突然中断される。すごくいびつな作品。その点では以前感想を書いた「とある魔術の禁書目録」とさほど変わらないが、作品に込められた熱意の量と濃縮度が桁違いだった。
この作品は、氏の『沈黙』の陰画である気がする。舞台は同じ東京だが、『沈黙』が過去から連なる血の因縁の物語であったのに比べ、『サウンドトラック』はそういったものから物理的に切り離され、21世紀に生きる少年/少女の物語となっている。既に「冬」は失われ(*1)、悪に対抗する唯一の手段であった音楽も殺されている(サウンドトラック/レス(*2))。そもそも『サウンドトラック』の主人公たちは『沈黙』では悪と呼ばれそうな、東京を滅ぼす側に立っているのだ。
最近ハードディスク内部のごちゃつきに嫌気がさしていたので、この連休中にハードディスクをフォーマットして OS を再インストールしようと考えた。
まず必要なデータは USB でつないだ外部 HD にバックアップ。そして内臓 HD を思い切って全消去する。パーティションを C:(システム用)、D:(プログラム用) E:(細かなデータ用)の3つに切り、OS のインストールを始める。ところが Win2k インストーラが最初の CD → HD 書き込みの時点で無限ループして大変。CD から knoppix を立ち上げネットで検索して「パーティションを切り直した際に基本 DOS 領域を設定していなかった」と気づくまで半日かかった。 Win2k にはブートディスクがついていないので、慌てて過去使っていた Win98 の FD を探して fdisk し直したり。今にして思えば knoppix にも fdisk は付いているはずだが気が動転していてそれを考える余裕がなかった。
その後もいろいろあったが、ようやくこうして日記を書けるまで環境を構築できた。IME の登録辞書をバックアップするのを忘れてマリみて関連の単語が飛んでしまったのが痛い。
最終回。「いつ大どんでん返しが来るのか」とドキドキしながら読んでいたらそのまま終わってしまった。これまでのやりたい放題がなかったかのような「いい話」な終わり方が逆に怖くてたまらないのですが。
とりあえず対談やエッセイは飛ばして小説だけ読んだ。
西尾維新は相変わらずの西尾維新っぷり。『新本格魔法少女りすか』は「敵遭遇→出血→変身」なストーリ展開にはそろそろ飽きたので何とかしてください。舞城王太郎は、いまだにこの人のよさが判らないのでごめんなさい。
シナリオ屋さんの書いた小説が3つ。「White Album」が好きだったので原田宇陀児には期待していたのだがうーん微妙。完璧に『ファウスト』から浮いてるような。元長柾木は、設定の過剰さとは裏腹に物語自体が弱い気がする。この二人と比べると奈須きのこは普通にうまい。『空の境界』は読みにくくてたまらなかったのだが格段に上達していると思った。
それは「死」へ向かって突進していくことに等しいが、もし「生」というものがあるならば、その生は行く手の無数の死の合間にしか存在し得ないのだ。
cite ( 「楽園はどこにあるのか2」中島らも『とほほのほ』:双葉文庫 )
「今夜、すべてのバ−で」、「永遠(とわ)も半ばを過ぎて」が好きで、彼がときおり書いた観念的なエッセイが好きだった。わかぎえふの書く中島らも、彼の書くわかぎえふに惹かれ、彼らの関係性をうらやましく思った。
追悼に代えて、今日は彼のエッセイを読み返すことにした。
上の関連情報をあさってブログを巡回していたときに知ったのがウイングス等で書かれていた漫画家あとり硅子さんの訃報。中島らもの場合は驚きはしたもののどこか納得する所もあったのだが、こちらはただただ残念でならない。
PS2の傑作手つなぎ切な系アクション『ICO』BEST版の再発売を記念した、プロデューサーとディレクターの対談が公式サイトで公開された。色々と興味深い話が載っていたがこれを読んで初めて日本より先にアメリカで発売されていたことを知った。アメリカ版と日本語版にはいくつか違いがあるらしく、例えばアメリカ版には「2周目のオマケ」がないらしいですよ!スイカ!スイカのない ICO なんて ICO じゃないですよ!