ピエタ感想。

(本文は作成中。途中脱落個所多数ありマス!)

0.
榛野なな恵の「ピエタ」は、よく出来たおとぎ話である。

1.
僕はこの作品を”とりかえ子”の物語のバリエーションとして読んだ。ここでは”とりかえ子”の物語について詳しくは説明しないが、大まかに言えばそれは次のように展開する。主人公は出生、あるいは幼少時に”とりかえ”られ人間として育てられた異種(妖精など)の存在である。その異種性は身体的特徴として現れることはないが、身にまとう雰囲気等から普通とは違う存在として迫害(あるいは特別視)される。同時に主人公もこの世界との違和感に悩まされる。ある日異界からの導き手が現れる。彼らは主人公が自分と同じ異界の存在であることを告げる。主人公が自身の異種性を自覚していくと共に、この世界との軋轢も増していく。最後、主人公は導き手と共に異界へと還ってゆく。

2.
「ピエタ」は、比嘉佐保子と賢木理央の2人の少女の物語である。語り手である比嘉佐保子は、上記における”導き手”の役割を担う(正確にはお互いがお互いを導く相互補完関係なのだが、簡略化のため以上のこととする)。”主人公”は賢木理央である。

2人は、話の中において他者から「普通の人間とは異なる存在である」ことが繰り返し語られる。

この物語は高校3年の春、佐保子と理央との出逢いから始まる。導き手である佐保子は、自分が周りの人たちとは違うと感じながらも、普通の人間のふりをして生活してきた。一方理央は己の特殊性に無自覚であるがゆえに、周囲と孤立し苦しんでいた。ストーリーが進み2人が親密さを増すにつれ(主に理央サイドにおいて)外部との軋轢も増していくのだが、それは、佐保子という”導き手”との出逢いにより理央自身の異種性が拡大したせいだ、とも読むことが出来る。前編の終わり、理央は死によってこの世界からの脱出をはかり、それと同時に佐保子は自らの”導き手”としての役割をさとる。

後編は、”主人公”が”導き手”により自分自身の特殊性を認識し、この世界から抜け出すまでの物語である(ただし「ピエタ」はハイ(異世界)・ファンタジーではなく、彼女たちに本当の意味での還るべき異世界はない)。

3.
さて、”とりかえ子”の物語には、もちろん「主人公は現世に残り幸せに暮らしました」という終わり方もある。「人間と結婚する」、「養子に迎えられる」などがその典型的なパターンである。この世界の住人と血縁を結ぶことにより、普通の人間として周囲に認められることになる。面白いことに、現世にとどまることと引き換えに主人公が本来もっていた特殊性は失われてしまう。逆に言えば、特殊性を持ったままでこの世界に残ることは許されないということだ。

「ピエタ」にも、本来同様の選択は可能であった。事実、話中には心理カウンセラーの夫婦が理央を自分達の娘として迎え入れようと幾度と無く相談を重ねる姿が描かれている。しかし結果的にそれは、理央が死から生還(=この世界からの脱出に失敗)し、佐保子と生活することを決断した後に本人に告げられた。つまり、この物語において「普通の人間としてこの世界に残る」という選択肢はあらかじめ失われている。しかし、先述したようにように、彼女達の還るべき世界は存在しないのだ。

結局彼女たちは、「この世界に組み込まれずに、異種族同士で小さな結界を造りそこで生活する」ことを選んだ。だが、本来この世界にとどまったまま異種の存在としてありつづけることは許されない。それを成すには払うべき代償が必要なはずだ。では、彼女たちが払ったものとは何だろうか?

それは、「名前」であろう。

あるいは「役割」と言い換えてもいい(佐保子の言によれば、それは”与えられたラベルのない”存在である)。逆説的に、「役割」を与えられることによって我々は生きていけるのだとも言える。呼ばれる名を放棄し自由を希求した彼女たちは、その必然としてこの”世界”から離れていく。そしてそれは彼女たち自身も望んだことだ。彼女たちは、互いが互いのことをわかっていれば、他の人たちにどう呼ばれようとかまわないと言う。

(単行本化にあたって加えられた中編では、彼女たちが異界の住人であることがいっそう明らかにされる。当作品において2人は佐保子の叔母の所有する別荘に逗留している。本来なら人でごったがえすはずのそこはシーズンオフであるために閑散としていて、人の姿を見ることはない。2人が買い物をおこなう土産物屋においても店員の姿すら書かれないという徹底ぶり。唯一かかれる下界との接触は、心理カウンセラーの夫婦との電話による会話のみである。しかも直接会話を交わすのは夫のほうで、(本編中2人のとる行動について現実的側面から否定的な意見を述べていた)妻は後に夫から電話が会ったことを伝えられるだけである。)

4.
なるほど、自由を得、生まれ変わった2人の姿は美しく、強く惹かれるものはある。しかし、普通の人間でありどこにも還る場所の無いわれわれにとっては、逆に救いのない物語なのもまた確かだ。(第2稿:06/21.2000)

DATA::
「ピエタ(1,2)」榛野なな恵:ヤングユーコミックス・集英社

関連書籍

「魔性の子」小野不由美:新潮文庫
間違えてこの世界に生まれた少年が異界に還っていくまでの”とりかえ子”の典型といえる物語。菊池秀行さんは当作品の解説文において「戻る世界のない我々は、何処に行けばいいのか」という、優れた質問を作者に投げかける。下の作品は作者のそれにたいする回答としても読むことが出来るだろう。

「月の影 影の海」小野不由美:講談社ホワイトハート、講談社文庫
上記作品と世界観を共有する異世界ファンタジー、「十二国記」の第1作。突然異界に連れてこられたひとりの少女の話。彼女は、ひとときも休まる間もなく苦難の日々を送る。”本当の世界”などどこにもない、例え”ここではないどこか”を望んでも、そこで生きていくためにはそれ相応の努力が必要であるという、よく考えれば当たり前でもある結論。この本の最後で少女は、天によって選ばれし女王であったことが判明する。本来なら「めでたしめでたし」で終わるべき結末。だが作者は、続編において女王として即位したのち国を治めることに悩む主人公の姿を克明に描写する。

「折口信夫全集(2)」折口信夫:中央公論文庫
民俗学の大家。彼の提唱した異人論、「マレビト」の概念を参考にした。
漫画生活日記
ネット上に上げられた「ピエタ」の感想の中で、いちばん共感出来た。
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